銀座『さわ田』がミシュランを獲り続ける理由?
『なぜこのお店がミシュラン2つ星なのか?』
複数の鮨通フォロワーの方々から銀座『すきやばし次郎』銀座『よしたけ』に続き、こちらのお店のレビューも書いて欲しいと依頼されたためこちらの文章をもって回答と致します。
銀座『よしたけ』は応援し過ぎたかなー、うーん、、、あれだけレビューもなく予約も空いてたのに偶然でしょうか?
私がレビューした以降、昼も夜も全く予約が取れなくなりました(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
ま、いいです。
さて、久々に訪問して参りました。
この数ヶ月間全く連絡が取れなかった理由を伺ったところ、緊急事態宣言を受けて、9月末までの5-6ヶ月間を丸々休まれていたようです。
周辺のお店やテナントへの気遣いとはいえ、50-60万円/日の売上げを、20営業日計算で5,000-7,000万円程の売上げを丸々捨てるとは、なんという豪胆さ、、、。
実は、銀座『さわ田』の澤田の御主人の握る技術は世間の評価ほど高くはありません。
鮨ネタは極上ですし、頂いたら美味しいですよ?
確かに美味しいのですが、ミシュラン2つ星レベルの技術がそこにあるかといわれるとそういうわけではないんです。
他の美味しい鮨屋と比較して、特別に澤田氏の握りの技術が突出しているというわけではないんです。
これは普段から銀座鮨食べ慣れている味覚嗅覚がすごく敏感な人にしか伝わらない次元の話なんですが、正確に申し上げると鮨ネタと酢飯(シャリ)の口の中でのバランスに結構ズレがあるときが多いんです。
では、『なぜ銀座『さわ田』がミシュラン2つ星なのか?』
今の銀座の50歳前後の超人気鮨屋をレビューするには、こちらにも相応の力や覚悟がいるので、どうしても長くなりますがその点はご了承下さい。
さて、銀座『さわ田』が2008年よりなぜずっとミシュラン二つ星を獲り続けるのか?
以下はあくまで私の「持論」です。
もちろん他分野他業界でもそうですが、特にお鮨の世界には、「狂人」が歴代で何人もいらっしゃり、世代毎に分ける事ができます。
江戸時代や戦前戦後は私が生きておらず、この眼で見てきていないため想像の域をでないので除外するとして、パッと浮かぶのはやはりまずは銀座『すきやばし次郎』の二郎氏で、他にも二郎氏と切磋琢磨して銀座の江戸前鮨を盛り上げた今は亡き御主人方や引退された方が何人何十人ももいらっしゃるわけです。
例えばそれは、『次郎』『寿司金』『青木』『久兵衛』などの先代の御主人方です。
二郎氏以外は、皆さん70-80歳以上で前御主人方、中には既に他界された方もいらっしゃいます。
その方々は、二郎氏筆頭にお鮨にある革命を起こしました。
その革命の中でもっとも大きなインパクトだったモノを、握り鮨に「温度」と「熟成」を持ち込んだ事だと私は思っております。
茹でたて蒸し立ての車海老/鮑、2-3日寝かした白身魚、10-14日間熟成させた本鮪の中トロや大トロの内側などです。
仮にその世代をあえて『第一世代』と捉えるなら、その次の『第二世代』にいらっしゃるのが、東銀座『あら輝』銀座『さわ田』新橋『しみづ』四谷『三谷』銀座『かねさか』を筆頭とした昭和40年代生まれ50代前後の御主人方。
四谷『三谷』の三谷氏のワインと鮨のペアリングも当時は相当な革命で、それが今の銀座『よしたけ』へと繋がるわけです。
銀座『かねさか』の金坂氏は2000年に銀座『かねさか本店』をOpenして現在49-50歳なので、銀座の新御三家といわれた『しみづ』『あら輝』『さわ田』の御主人方より5-7歳下になり、彼の天才性もあってちょっと例外です。
その方々の下の代が、六本木『さいとう』銀座『いわ』石川県「めくみ」などといったひと世代下の位置付けであると、記載漏れや異論反論はあるでしょうが、ひとまず、そう仮定してみましょう。
その場合、銀座『さわ田』の御主人は第二世代に位置付けられるわけです。
私は、鮨に狂った、鮨に人生を捧げた「狂人」はこのあたりまでと勝手に思っております。銀座『かねさか』の金坂氏や石川県『めくみ』の山口氏あたりまでが最後じゃないかな?と思うわけです。
実力や総合力は今の40代半ば以下の方々のほうが高いことがしばしばな今の鮨業界ですが、
青は藍より出でて藍より青し
理論でいけばいつだって今が最高であるというそれは当然なわけで、ただ、「狂っている」という最大賛辞を送るとしたら、やはり第二世代あたりまでと思っております。
思うに今の時代は、1人の人間がある分野に狂うほどに没頭するにはあまりにも「情報/答え」が溢れています。誰かが何かに対して狂う程に、一心不乱に試行錯誤する前に、なんでも手に入ってしまうのですからしょーがないです。
狂った人達も狂いたくて狂ってるわけじゃないんです。
すぐに学べないから、誰も自分が知りたい事を教えてくれないから、それでも知りたいから、体得できるまで突き詰める姿勢が第三者から見て「狂っている」ように見えるだけですから。
西暦2000年前後、そのときには今のような鮨学校や鮨本/熟成本/YouTube動画などなく、今は当たり前になったワイヤーによる神経締めも関鯖/関鯵を取扱う魚問屋が秘密にしてひた隠しにしていたそんな時代。
鮨職人達は実際に自分の眼で見て学ぶしかありませんでした。
誤解して頂きたくないのは、そんな技術を盗まれる鮨職人側は決して自分の技術を隠してはいないということです。乞われれば見せる。ただ、自分達も見て盗んで学んできたため、言語化して教えることが出来なかったというだけです。
そんな時に銀座『さわ田』の御主人は、鮨職人を格好良いと思い、志しました。
そしてその気持ちは最後の修行先である銀座『青木』で益々強くなり、一年もたたないうちに独立を決意。
ただ、その時の自分にあるのはやる気と根拠のない自信だけ。
日経平均が7000円台へズルズル下げ続ける超不景気の最中、今のようにすぐにスポンサーがついて個人がお店を持てるということもありませんでした。
今では信じられないくらい、本当にあらゆるメディアで日本経済の沈没が叫ばれて、生命保険会社を筆頭にあらゆる株が投げ売りされ額面割れしていたのです。
そんな中、澤田氏は「だったらしょうがない。」と、佐○急便で5-6年間ひたすらがむしゃらに働き、軍資金を貯めることになります。
当時の佐○急便は働けば働いただけ青天井の給料のため、道は異なれど、小説「青年社長」じゃないですが、居酒屋大手チェーン『和民』の創業者のように自分と同じ夢を持って働く人間が沢山いたので、鮨は握れませんでしたが、片時も自分が鮨職人であることを忘れずに働き続けたわけです。
澤田氏曰く、今思えばこの時期が今の自分を形作るのに1番大切な充実した時期だったと述べています。
4年5年と片時も握り鮨のことを忘れずに一生懸命働いてそろそろお金が溜まってきたそんなときに、すきやばし次郎のNo.2であったのちの銀座『水谷』オーナー、孤高の天才である水谷氏に可愛がってもらっていたツテで、澤田の御主人はカウンター5席と、狭いながらも中野坂上で自分の城となるお店を持ったのです。
ただ、当時はいかんせん広告手段は雑誌メディアやTVか口コミだけ。
そもそも世間に知られていないのだからしょーがない、でも鮨ネタの質は絶対に落としたくない。
ならば当然のこと、開業してから日に日に自分が必死になって貯めた軍資金は目減りしていくことに。
そんな意気消沈気味な澤田氏を、新宿界隈の鮨通や銀座『水谷』の水谷氏や寿司金の先代などは可愛がりました。不器用無骨で頑固ながら、どこか愛嬌があり、とにかく美味しい鮨を握りたいと必死だったからです。自分より優れた技術は総て吸収してやろうと常に鮨に対して貪欲だったからです。
水谷氏は彼に「鰹/かつを」のわら焼きの技を、寿司金の先代は彼に海苔を使わない小柱の握りの技を教えました。
そうこうして色々な先輩や鮨通達に鍛えられる中で、大間のまぐろの美味しさに心底惚れ、築地「藤田」に日参し、ついにはやっと極上鮪をまわしてもらえるようになるも、それだけではいけないと日々研鑽し、試行錯誤して、鮨通達にも色々言われながら鍛えられて、半年一年と着実に自分の実力をつけていくうちに、中野坂上にとてつもないこだわりの鮨屋があると噂になり、半年先まで予約が埋まるようになったのです。
この時期荒木氏は世田谷区上野毛で、清水氏は新橋の極狭別店舗で一人気を吐いていました。
今の鮨業界で若手がぐんぐん伸びている、荒木/清水/澤田は新御三家だと言われ始めたのはこの時期あたりです。
そしてちょうど3年が経とうとした頃に銀座の物件の話が舞い込みました。大恩ある水谷氏より先に銀座でお店を持つことに澤田氏は一瞬躊躇しましたが、既に金坂氏は2000年に28才で銀座『かねさか本店』を開いて華々しくデビューしている。チャンスの女神には後ろ髪はないということで、水谷氏にしっかりと筋を通し、2005年に銀座でお店をOpenしました。
既に中野坂上の噂は鮨通の間では広く知られていたため、銀座でもあっという間に大繁盛、その後2008年にミシュラン2つ星を獲って以降、今に至ります。
当時一つのお店で長年修行していない鮨職人がミシュランとかいう海外の賞をもらった!?ということで銀座の鮨職人や鮨通の間では激震が走ったようです。
断っておきますが、この時期に東銀座『あら輝』の荒木氏はミシュラン三つ星を、そしてその後ロンドンでもミシュラン三つ星を取得、そして新橋『しみづ』の御主人はミシュラン星をこのとき断っており、それ以降も断り続けています。それが清水氏のスタイルなので、その点に関して他者がどうこういう話ではありません。
さてそれから時は移ろい、まもなくミシュラン獲得後14年間が過ぎようとする中で、その間に鮨業界は劇的に変わり、鮨職人達は世界中で羨望される程の、欧米で真っ先に労働ビザ支給される程のランクへとなりました。
そんな中で、銀座『さわ田』はどうしているか?
相変わらずの大繁盛です。
そのままでも良いのに、自分が考えに考え抜いて創り上げた銀座店の内装を自分と全く関係のないお店方に随分真似されたことに納得がいかず、必要ないのに大工を変えてまた1500-2000万円前後かけて内装を7-8人のカウンタースタイルから今の6人スタイルへ大幅改造して、カウンター正面の氷の冷蔵庫をあろうことか縞黒檀で仕上げるほど傾いたりもしています。

ただ、ご本人は良い意味で全く変わりません。
もちろん鮨の技術はさらに磨き上げられているとはいえ、本質的には良い意味で全く同じです。
一見強面ですが、眼の前の来店者達に喜んでもらうことに全神経を集中し、緊張している女性客がいればさりげなく自分を下げたユーモアでフォローし、眼の前の鮨ネタの経緯を来店者達にさりげなく説明し、適時にそれぞれの来店者達の好みや意向を反映させながらも自分の鮨を握る。
特に女性の大脳は自分を特別視して、優しくしてくれ、愉しませてくれる相手に好意を抱くようになっていますので、銀座『さわ田』に女性ファンが多いのも当然です。
写真こそ撮らせませんが、それでも鮨通から初心者までの皆が満足いくように、光り物から雲丹やいくらに特製海苔巻き(通称 澤田スペシャル)までたっぷり握って皆を満足させます。
決して広くない空間で、程よい距離のあるカウンター越しに1人の分厚いバックボーンを持った鮨職人が、カウンター6人にとことん気を利かせて各人の好みをちゃんと反映させて、極上内装の中で握る極上ネタの握り鮨。
となれば、どんな審査員も心を絆され、魅了されるのは必然なわけです。
個人的に好きなのは縞黒檀で作った氷冷蔵庫。あんな硬い希少木材で見事に世界唯一の冷蔵庫を作り上げた職人とあれだけで300-400万円前後かかるであろうお代を払った澤田氏に乾杯。
確かにあれなら誰も真似できません。
そして、カウンターと同じであろう白木のつけ台。
すぐ拭き取らないとあっという間に染みになるのにあえてカウンターと同じその材質で、しかも無垢でお皿も何も置かずにつけ台を作るなんて、カウンターの綺麗さを維持するために毎日必ず3時間は乾燥ヘチマで磨いて掃除するだなんて、それを自分でやるだなんて、だいぶ丸くなったとはいえ、やっぱり澤田氏は狂ってます。
そして何よりも白い酢飯(しゃり)。
江戸前寿司に関して少しでも勉強されたことがある方は皆さんご存知の通り、今日本を席巻している江戸前鮨の赤酢は原料は「お米」ではなく、「酒粕」なんですね。
当時は酒粕は掃いて捨てるほどあって、それで作ったら結構美味しい酢飯になるぞ!?と始まったのが赤酢の酢飯(しゃり)の始まり。江戸時代の握り鮨は屋台で食べるファストフードだったので。
なのでそれ以降伝統的な江戸前鮨は皆「赤酢」の酢飯(しゃり)。
江戸時代の赤酢を復活させた酔狂な会社もあるくらいですから、私は赤酢の握り鮨で育った人間なので赤酢大歓迎です。
赤酢に最初からこだわっていたのは新橋『しみづ』の清水氏じゃないでしょうか?あの方の握り鮨は、これまた近年の彼の生き様/スタイルと相まって、握り鮨単体のまでも唸るように美味しいですからねぇ。
ただ、銀座『さわ田』の御主人は新橋『しみづ』の代名詞にもなりつつある赤酢を、それをそのまま使うのを良しとはしませんでした。
「当時の江戸時代なら赤酢を使うのは判る。ただ、今の時代でお客様方に出す酢は本当に赤酢なのか?極上のお米で作った米酢のほうが良いのではないか?」
っていう具合です。
自分のスタイル、自分の理想の鮨に相応しい酢飯(シャリ)とはどんなモノなのか?
そして見事に米酢でも素晴らしい完成度の酢飯(しゃり)を完成。米粒や握り方には若干の誤差はあるものの、酢飯(しゃり)自体の御味は極上で、すきやばし次郎よりわずかに甘めですが、目を瞑って感じるクラス感は同等です。
そしてそんな狂気を店内の細部にさりげなく散りばめて光らせながらも、愚直に眼の前の来店者達が喜ぶよう四方八方に気を配り、自分が美味しいと思う鮨を相手に合わせて握り続けるその姿勢に対して来店者達は「澤田氏の人間力」と評するのです。
そういう意味で私もやはり、銀座『さわ田』を今の銀座を代表する鮨屋の1つと結論づけざるをえないわけです。
本醸造/吟醸の日本酒と麦焼酎/芋焼酎で割ったガリ酢ハイを交互に飲みながら、定期的に銀座『さわ田』の握り鮨を頂くしかないわけです。
私のように前頭葉に少し欠陥のある人間は食べ物レビューで簡単に「至高の」「究極の」「人間力」などといったWordはこちらの語彙不足を露呈しているようで使いたくないんですけど、どうしてもこのクラスになるとそのWordを使わざるを得ません、、、、。
我々日本人にとっては当たり前かもしれませんが、海外のグルメン達にとっては、握り鮨というのはとてつもないエキサイティングでワンダーランドなんです。
その距離感はシェフズテーブルの比ではなく、しかも見ず知らずの他人が「素手」で握った握り鮨を頂くのですから。
ロンドン『あら輝』など海外の有名鮨店はゴム手袋してるとはいえ、そんな日本の握り鮨はとてつもない異質で、それだからこそ握る人の人間性が現れることを、来店者達はこのクラスの鮨屋の御主人達からはどうしても意識して感じざるを得ません。
弟子をとらず、ただ己の克己研鑽のみに日々集中。
それもまた自由です。
美味い鮨屋なら銀座『さわ田』でなくてもよい、ただ、つまみ含めた総合的な「鮨」で心から満足したいのなら、銀座『さわ田』はその中の最有力候補の1つ。
1人もしくは自分と同じくらい鮨が好きな友人知人とのプライベート利用、もしくは常連になってカウンター貸切り利用がお勧めです。
はぁ、このあたりのお店レビューすると同ランク他店もレビューちゃんとやらないとフェアじゃないので結局全部やらざるを得ない(泣)。
食べログ内やメディアに出てくる食通の方々のレビュー内容って、その時の味の美味しい/美味しくないや歴史/系列だけでしか判断していないレビューが多いですよね。
自分の20代30代前半を振り返ってみても、個人的にはお鮨屋のレビューってそういうのを求められているのではない気がします。
この銀座『さわ田』のレビューに「いいね!」が100ついたら他の有名鮨店レビューも頑張ろっと。
最後までお読み頂いた読解力のある知的聡明グルメンな皆様、私にそのモチベーションを下さい(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾!
※新橋『しみづ』の握り鮨は素晴らしく美味しいです。
※1人客、結構多いです。
※6席カウンターのみで個室ありません。
※少食の女性は余程お腹を空かせて伺わないと途中でダウンすると思うので不向きです。
※CPだけで考えるならランチ(28,000円/人)のほうがお得ですが、ゆっくり満喫したいならディナー(38,000円)の一択です。
※『あら輝』の荒木氏も戻ってくるそうです。
※澤田スペシャルの海苔巻きは既に満腹の方はわざわざ頼む必要ないです。
※60代で銀座にて活躍されてる方としては個人的には特に小野禎一氏の握り鮨が好きです。

